道の駅萩しーまーと
「萩しーまーと」は、漁協をはじめ、地元生産者が集結して運営する、臨海の生鮮市場です。漁港直結で輸送コストはゼロ、しかも中間流通を介さず生産者直売ですから、新鮮・安全な旬の食材を安価にご提供しております。
店内では旬の魚や農産物をご紹介した各種イベントや、採れ立ての海の幸をふんだんに使用した海鮮丼などのレストランも人気のひとつとなっております。

住所:萩市椿東字北前小畑4160−61
松陰神社
明治23年に吉田松陰を祭って建てられた松陰神社。現在の社殿は昭和30年に新しく完成したもので、旧社殿は「松門神社」として、松陰の門人であった人々の霊を祀っています。学問の神として信仰が厚く、境内には有名な松下村塾、松陰ゆかりの史跡や展示館などが点在。吉田松陰幽囚ノ旧宅が隣接しています。


松下村塾
幕末、吉田松陰が主宰した松下村塾。身分の区別なく学ぶことができ、ここから幕末維新期に活躍し、近代日本の原動力となった数多くの逸材が輩出されたことは余りにも有名です。




住所:山口県萩市
萩城下町
萩城下町は国の史跡に指定されており 、町筋は碁盤目状に画され 、中 ・下級の武家屋敷や町屋が軒を連ねていた。今も町筋がそのまま残り 、よく往時の面影をとどめている。菊屋横丁 、伊勢屋横丁 、江戸屋横丁と呼ばれている小路があり 、萩藩御用達の豪商菊屋家 、また高杉晋作誕生地 、木戸孝允旧宅 、青木周弼旧宅やなまこ壁の土蔵 、門 、土塀などが並んでいる。

高杉晋作
萩藩大組士高杉小忠太の長男として天保10年(1839)に生まれ 、安政4年(1857)に松下村塾に通い始めた。松陰からは 「有識の士 」として将来を嘱望され 、松陰の死を乗り越え 、江戸修行や自ら試撃行と称した東北修行の旅で松陰の師である佐久間象山らとの出逢い成長していった。文久3年(1863)5月萩藩は下関海峡で 、攘夷の火蓋を切ったが 、四国連合艦隊の攻撃を受け 、藩兵力の弱体ぶりをさらけ出す結果となり 、この危機打開のため翌6月に奇兵隊を結成した。少ない兵力で敵の虚をつき 、神出鬼没 、敵を悩まし 、常に奇道をもって勝ちを制することから奇兵隊と呼び 、身分を中心に編成された封建的軍隊とは異なり 、身分を問わず有志の集まりで 、力量中心に編成された新しい軍隊であった。奇兵隊は 、その後の倒幕戦争においても諸隊の中核として明治維新に大きな歴史的役割を果たした。旧宅内に晋作の写真や書などが展示され 、邸内には自作の句碑 「西へ行く 人をしたひて 東行く 心の底そ神や知るらん 」や産湯に使った井戸がある。初代内閣総理大臣伊藤博文が晋作のことを詠んだ歌碑に 「動けば雷電の如く発すれば風雨の如し 」というものがある。

山口県萩市
